二十一世紀の「夜郎」
朝、新聞を取りに出て驚く。
路面にうっすらと雪、
ところどころ凍結してもいる。
寒い筈である。
使い捨てカイロを足裏に貼り付けて出勤した。
こんなことは初めてだ。
歳とったものである、私も。
さて、北鮮が昨日につづき今日も
国際社会の片隅で
子供のように拗ねている。
朝鮮は
貧しくて知能程度が低いから
悪事を働いても構わない、
とでも思っているのであろう。
米国が平壌に先制核攻撃を敢行すれば
話は一番簡単なのである。
しかし、ま、それは選択肢として今後に温存するとして
経済制裁と核施設への爆撃を
現実問題として検討すべき時が来たようだ。
身の程知らずには
身の程を知らしめるのが何よりなのである。
「夜郎自大」の夜郎とは、昔中国の西南部に居た異民族で
漢帝国の力も知らぬ身の程知らずだったということだ。
二十一世紀にも憐れな「夜郎」が存在したものである。
冬深む私の中の静電気 田畑益弘