滝沢修の死
圧倒される人物というのがいる。
46年生きてきて、私が圧倒された唯一の人間、滝沢修さんが亡くなった。
19歳のころだった、新劇に凝っていた私は
京都会館で滝沢修主演の「北一輝の死」を観た。
終演後ロビーで質疑応答があり、私は「厳しい質問?」を
用意して滝沢修を待ったのだった。
「あなたは北一輝を演じた者として彼の思想をどう評価されているのですか?」
・・・これが当時の私の精一杯の質問だった。
私は挙手して質問の順番が回ってくるのを今か今かと待っていた。
遂にその時が来た。滝沢修と私の目線が向かい合ったのだ。
その瞬間、私は言いようのない迫力に圧倒されてしまった。
私は何も言えずに赤面して俯くしかなかった。
そんな体験はそれ以前にも以後にも全くない。
私が理屈抜きで畏敬する唯一の人間、それが滝沢修だった。
新劇はもはや新しくない。新劇は既に死語と言ってよい。
滝沢修の死によって、新劇は今日、名実ともに終わったのだ。
沖縄「慰霊の日」。
国籍を問わず沖縄戦全戦没者の氏名を刻む
「平和の礎(いしじ)」の心が、文字通り来世紀世界の礎となることを祈りたい。
注目の沖縄サミットまで後一月である。
おうおうと金春家いま薔薇のとき 森 澄雄