五輪の行く末
「参加することに意義があった五輪」も今は昔。
「テレビ放映されることに意義がある」五輪になってしまった。
五輪のお客様は各国のテレビ局である。
カネのない国は観ることもできないのだ。
さて、テレビ局のお客様はスポンサーだが、
最終的にはテレビの前の視聴者である。
視聴者に嫌われたら最後、
テレビ局は莫大なカネを払ってまで
五輪を放映したりしなくなるであろう。
「テレビ放映されることに意義がある」五輪は
極めてマイナーな競技会になり下がるのである。
審判の偏向に何の反省も改善もないようだ。
ダブルスタンダードが罷り通っている。
ここ数日、五輪を観る目がシラケてきたし
観る時間が激減した。
そして、さほど話題にもしなくなった。
メディアが独り大騒ぎしているだけである。
五輪の行く末が想像されるようである。
春の雲人に行方を聴くごとし 飯田龍太