「抱え字」というテクニックについて
初心者に俳句を教える時、私は先ず
「季語は一つ、切れ字も一つ」と言うことにしている。
それは、子規・虚子以後の近代俳句の常識でもあるからだ。
焼酎や京は裏寺通りかな 益弘
は、本日の私の新作だが、
上記の常識を敢えて外して作った一句である。
「や」と「かな」という二つの切れ字が、
同居することなど現代俳句では「先ずない」ことだからだ。
しかし、子規・虚子以前、
つまり江戸期の伝統俳諧では
切れ字の重複はごくありふれたことであった。
私の句でいえば「京は」の「は」が、
「抱え字」というテクニックであり
切れ字の重複という非常識を解消する手法とされていたからだ。
子規・虚子以後でも
例えば、中村草田男の高名な
降る雪や明治は遠くなりにけり
は、「や」と「けり」という切れ字の重複を
「明治は」の「は」(つまり「抱え字」)で解消した好例である。
私の上記の一句はその「抱え字」の技を
敢えて試してみたものである。
子規や虚子は、俳句革新運動を徹底するために
この江戸期伝統俳諧の「抱え字」の技を
敢えて無視したのであろう、と考える。
伝統からの離陸には
大いなる決断と犠牲が必要だったということであろう。
白髪の最前列や夏期講座 吉田功次郎