大人になりたくない国?
「外交官の死を悼む」と云う。
しかし、いかほどの国民が真に悲しんでいると云うのか?
「テロは許せない、テロに屈しない」と云う。
しかし、いかほどの国民が真に憤っていると云うのか?
中途半端な悲しみと中途半端な憤りが世に蔓延している。
戦後、
われわれ日本人はこの「中途半端」を生きさせられてきたのだと思う。
中途半端な生きざまはまた中途半端な死にざまを意味する。
二人の外交官の生きざまと死にざまが
余りにも鮮やか過ぎて
日本人にはどう受け入れてよいのかもわからない、
というのが正直なところなのであろう。
「自衛隊を派遣すべきだと思うが、時期は慎重に。」というのが
世論の大勢だと云う。
慎重と云えば聞こえが良いが、
テロを怖れて決定を先送りしているだけのことである。
中途半端な意思決定が根深く浸透してしまっているのである。
これまで日本は
そんな「中途半端」で何とかごまかしてやって来れた。
それが今、遂に限界に来たということである。
テロリストと対峙する時、
中間的な態度・意志表明などあり得ないからである。
野党と反米メディアはそれにも関わらず
これまでの「中途半端」を固持したいのであろうと思う。
彼らは国際社会の常識から限りなく遅れている、
いわば「古い日本のウルトラ保守」と云ってよい存在である。
この国の二大政党制が夢想にしか過ぎない、のは
そのせいである。
この国はいつ「大人」になるのだろう?
枯野ゆく枯野の石を握り緊め 田畑益弘