「運命の糸」
「運命の赤い糸」などと云う。
赤いかどうかは知らないが、
そのいわゆる「運命の糸」というようなものを感じた人は多かろう。
それは、「縁」とも云って良い。
偶然のようでもあり、必然のようでもあることがある。
いや、そもそも
偶然とは必然のことではないのかと思えてしまうようなことだ。
しかし、
「運命の糸」は我々には決して予見することはできないものだ。
それが、これまでの世界であり人生であったのだ。
インターネット。
それは、決して見える筈のなかった、
そんな「運命の糸」を
少しづつ「見えるもの」にしてくれているシステムと
私は考えている。
見えなかったものが見えるようになるのは
素晴らしく且つ恐ろしいことである。
縁には悪しき縁、良き縁があるのであるから・・・。
「俳句添削 朱筆」に先日、
フランスの読者から御投稿をいただいた。
遠く離れた異国の人との、それもまた「縁」である。
インターネットは世界中の誰が見ていてもおかしくない世界だ。
全ての善人と全ての悪人が・・・つまり
全ての人間がネットによってつながっているのである。
御投稿して下さったその方が
ネット社会の住人だったからこそ
決して見える筈のなかった「運命の糸」が見えたわけである。
未来社会は、また人間の行動様式は
インターネットによって
いずれ画然と変容するということである。
行く年のうごく舗道を歩いてゐる 田畑益弘